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京都簡易裁判所 昭和63年(ハ)446号 判決 1989年9月29日

原告

西 本 辰 巳

右訴訟代理人弁護士

吉 田 隆 行

籠 橋 隆 明

高 田 良 爾

佐 藤 克 昭

被告

伏見信用金庫

右代表者代表理事

中 井 孝一郎

右訴訟代理人弁護士

三 木 善 続

主文

一  被告は、原告に対し、金八四万五000円を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同趣旨

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求の原因

一  原告は、被告修学院支店に対し、次のとおり預金した。

預金の種類 預金額   満 期

1定期預金 (口座番号一六四三七五) 七0万円 (昭和62.1.22当時) 昭和62.6.30

2普通預金 一四万五000円 (昭和62.1.22当時)

二  原告は、昭和六二年二月、被告に対し、右1の定期積金については中途解約のうえ、右1、2の預金金額の払戻を請求したが、被告はその支払をしない。

三  よって、原告は、被告に対し、一項1、2の元本合計金八四万五000円の支払を求める。

第三  請求原因に対する被告の認否及び抗弁

(請求原因に対する認否)

請求原因事実はすべて認める。

(免責の抗弁)

一  昭和六二年一月二三日正午ころ、被告修学院支店に、請求原因一項1の定期積金(以下「本件定期積金」という。)証書、2の普通預金(以下「本件普通預金」という。)通帳及び原告の各届出印章を所持する男が訪れ、同支店の職員に対し、本件定期積金の中途解約、積金残高金七0万円全額の払戻を請求し、さらに本件普通預金のうち金一四万五000円の払戻を請求したので、同支店の担当職員(以下「被告担当職員」ともいう。)は、右証書、通帳と右各届出印章によって顕出された各印影を照合したところ、相違ないものと認められたので、右所持者(以下「本件払戻請求者」ともいう。)を預金者である原告本人と信じ、右中途解約、各払戻請求に応じることとし、直ちに右解約、各払戻手続を行い、本件払戻請求者に対し、請求原因一項1、2の預金全額(ただし、本件定期積金には利息金四五九円を付加)の払戻をした。

二  右各払戻は、被告担当職員が善意かつ無過失によりなしたものであるから、民法四七八条により債権の準占有者に対する弁済として有効である。

三  したがって、原告の本件各預金債権は消滅した。

第四  抗弁に対する原告の認否及び主張

(抗弁に対する認否)

抗弁事実のうち、被告がその主張の日時ころ被告修学院支店において、請求原因一項の各預金の証書、通帳及び原告の各届出印章を所持する本件払戻請求者に対し、右各預金から請求原因一項1、2の預金全額の払戻をしたことは認めるが、その余の事実は不知ないし争う。

(主張)

右の各払戻に関し、本件払戻請求者と預金者本人との間の同一性を確認するにつき、被告担当職員に次のような過失がある。

一  本件払戻請求者は、帽子を目深に被り、サングラスをかけ、暖房のきいた店内で手袋をはめたまま所定の用紙に記入するなど一見して不審者とみるべき服装、挙動をしている。

二1  本件払戻請求者は、本件定期積金解約依頼書(以下「解約依頼書」という。)及び本件定期積金払戻請求書に、原告の印章を間違えて押捺し、指摘を受けて、左手に握っていた印章三本位のうちから別の印章を取り出して押捺し直した。

2  原告が本件定期積金の申込に際し被告修学院支店の得意先係職員に提出し、同支店が保管中の定期積金申込書には、原告の住所欄に「京都市左京区一乗寺東閉川原町一0番地大忠荘B棟一号室」と記載されているのに、解約依頼書の住所欄には「一乗東閉川原町」とのみ記載されており、地番、アパート名、部屋番号の記載がない。右解約依頼書に住所を記入させるのは、本件払戻請求者が預金者本人であるか否かを確認することが目的であるから、町名のみが一致して常識的に合っているという程度の確認をしただけでは、不十分である。

3  定期積金申込書の住所、氏名欄の筆跡と、解約依頼書の住所、氏名欄、定期積金払戻請求書の氏名欄の各筆跡とは、一見して相違しているのに、漫然注意を払わなかった。

三  本件定期積金の掛金は、被告において原告の勤務先で定期的に集金し、いつも原告本人との間でのみ取引する慣行があったのに、被告修学院支店の店頭で解約手続がされているのは、不自然である。

四  中途解約理由の聴取が不十分である。中途解約においては、真の権利者である顧客の静的安全の保護も留意されるべきである。

五  以上のほか、被告担当職員は、本件払戻請求者に対し、疑問詞で始まる質問で住所の詳細その他の事項を尋ねたり、筆跡が違うことを単刀直入に切り出したりして、相手の対応をはかるべきであるのに、そのような応待がなされていない。

六  本件では、定期積金の払戻請求と普通預金の払戻請求が同一機会になされ、被告担当職員も、受付は平文子、検印は浅田一夫がする等重なっているから、全体的に考察すると本件普通預金の払戻についても被告担当職員に過失がある。

七  昭和六二年一月二三日、原告の留守中に、当時の原告の自宅である京都市左京区一乗東閉川原町一0番地大忠荘B棟一号室に窃盗犯人が侵入し、本件定期積金証書、本件普通預金通帳及び原告の各届出印章を窃取した。原告は、翌二四日午後一時四五分ころ右盗難事故に気付き、被告修学院支店にその旨を届け出た。

八  したがって、かかる無権利者に対する本件各払戻は、右のとおり被告担当職員に過失があるから、民法四七八条の債権の準占有者に対する弁済とはならず、無効である。

第五  原告の右主張に対する被告の認否及び反論

一  人相、風体について

被告修学院支店は京都市内の北部に位置し、事件当日は真冬であり、本件払戻請求者が、帽子を被り、手袋をはめていても、別に不審者とは考えられない。サングラスといっても、色の濃いものではなく、通常見かけるような薄い色のものであって、人相を隠せるようなものではない。また、サングラスは、四季を問わずファッションの一つとしてかけられており、別に不自然ではない。

手袋を外さずに所定の書類に記入することも、寒い季節のことでもあり、面倒くさがり屋の人種はどこにでもいることなので、とくに不審というほどのことではない。

二  払戻書類について

1  第四原告の主張二1(印章の押直し)の事実は認める。本件払戻請求者は印鑑相違の指摘を受けて、直ちに正しい印章を取り出して押捺している。さらに押し違えたり、また迷うような様子もなかったのであるから、被告担当職員が不審を抱かなかったのも当然である。

2  解約依頼書の住所欄に番地やアパート名まで詳細に書かれなかったとしても、その主要部分で合致すれば、ごく常識的に住所が合っていると判断できるから、不審ということはできない。

3  定期積金申込書の記入は、必ずしも預金者本人の自筆ではなく、往々にして家族や得意先係職員の代筆により行われることが多いのであるから、両者の筆跡の相違に留意しなくても過失があるとはいえない。

三  中途解約手続を行う場所について

被告修学院支店の得意先係職員古村が原告の勤務先に赴いて定期的に集金していたことは認めるが、とくに原告本人との間でのみ取引する慣行があったことは否認する。被告の得意先係職員が預金者の勤務先で集金した積金を、預金者本人が店頭に来て解約する場合もよくあることで、別に不審なことではない。

四  中途解約理由の聴取について

被告担当職員が中途解約理由を尋ねたところ、本件払戻請求者は車を買うようなことをいい、別に不審な点は感じられなかった。

中途解約理由を聴取する目的は、払戻請求者と預金者との同一性を確認するためと、なるべく中途解約を防止しようとするためである。中途解約理由をしつこく聴くと、預金者の心証を害して、二度とこのような金融機関に預金をしないでおこうと思わせる危険がある。

五  応対の仕方について

被告修学院支店において、平日午前九時から午後三時までの営業時間中に、約二五0人もの来店者に応対するにあたって、事故届も出ていない預金の払戻手続に、時間をかけてジックリと応対せよということは、預金通帳と届出印章がその盗取者の手中にあるという極めて稀な事態における真の預金者を保護するために、他の善良な払戻請求者に迷惑を及ぼすことになろう。

六  第四原告の主張七(盗難事故)の事実はすべて認める。

七  したがって、原告の右主張一ないし四の事実は、いずれも「特段の不審事由」に該当しないし、また、被告担当職員に過失はない。

(過失相殺の予備的主張)

一 原告は、本件盗難事故に遭ったとき、本件定期積金証書、本件普通預金通帳及び原告の各届出印章を同一の場所に保管していた。かかる保管状況において盗取され、右印章を盗用された場合、その危険の全部を金融機関側に帰することはできず、預金者自身も負担しなければならない。

二 本件盗難事故は、原告が自室のドアにも施錠せず、施錠してないタンスの引出しに前記証書、通帳及び印章を一緒に保管していたため発生したものであるから、このような自ら招いた危難から生じた損害については、過失相殺の規定の類推適用により、請求額から相当額の減額が認められるべきである。

第六 証拠<省略>

理由

一請求原因事実は、当事者間に争いがない。

そこで、以下、被告の免責の抗弁の当否について検討する。

二昭和六二年一月二三日正午ころ被告修学院支店に本件定期積金証書、本件普通預金通帳及び原告の各届出印章を所持する男が訪れたこと、被告担当職員が右所持者すなわち本件払戻請求者に対し、請求原因一項1、2の預金全額の払戻をしたことは、当時者間に争いがない。

証拠及び弁論の全趣旨によれば、前示印章等の所持者が、被告修学院支店窓口係職員平文子に対し、本件定期積金の中途解約、積金残高金七0万円の払戻を請求したこと、右請求を受けた平文子は、右所持者から定期積金証書(甲第二号証の原本)の提出を受けるとともに、預金・積金解約依頼書(乙第一号証)、定期積金払戻請求書(乙第二号証)の作成及び提出を受けたこと、右所持者は、続いて、普通預金払戻請求書用紙の氏名欄に「西本辰巳」と記入し、その名下に所持する原告の届出印章を押捺して普通預金払戻請求書(乙第四号証)を作成し、平文子に対し、普通預金通帳とともに提出し、本件普通預金のうち金一四万五000円の払戻を請求したこと、平文子は、右普通預金通帳の表紙の裏面に押捺されラミネート加工されている原告届出の印影と右所持者が普通預金払戻請求書に押捺した印影とを照合したところ合致していたので、右所持者を預金者である原告本人と信じ、右払戻請求に応じることとし、直ちに払戻手続を行ったこと、他方、被告修学院支店副長小巻秀夫は、原告が契約時に作成提出していた定期積金申込書(乙第三号証)に押捺された原告届出の印影と解約依頼書、定期積金払戻請求書に各押捺し直された(後に判示)印影とを照合したところ合致していたため、右所持者を預金者である原告本人と信じ、右中途解約、払戻請求に応じることとし、被告担当職員をして右解約手続を続行させたこと、本件定期積金には税引後の利息金四五九円を付加して払戻をしたこと、以上の事実が認められる。

そうすると、被告担当職員は、右所持者を預金者である原告本人と信じ善意で、本件定期積金の中途解約、払戻、本件普通預金の払戻の各請求に応じてこれらの払戻を行ったのであるから、被告担当職員に、右所持者を預金者である原告本人と信じたことについて過失がないと認められるときは、右各払戻は債権の準占有者に対する弁済としていずれも有効であるというべきである。

三そこで、次に、右各払戻に関し、被告担当職員に過失があるかについて検討する。

(定期積金の中途解約、払戻手続について)

1  金融機関は、定期積金の性質上、その中途解約、払戻の申出に必ず応じなければならないわけではないし、また、もし、これに応ずる場合には、その責任において期限前払戻請求をするやむをえない事情の聴取のほか、預金者の同一性(ことに証書、印章の盗取者については期限前払戻を請求することが多いと思われることにかんがみ)について十分調査確認すべきものといわなければならないから、定期積金の中途解約、払戻請求があった場合においては、預金者と払戻請求者との同一性の確認について定期積金の満期における払戻請求や普通預金の払戻請求の場合に比して、より加重された注意義務を負うものというべきである。

定期積金の中途解約、払戻の請求があった場合には、払戻の必要性につき納得できる事由があれば必ずこれに応じている銀行実務の状況にかんがみ、金融機関の注意義務の程度は、預金者と払戻請求者の同一性に疑念を抱かせる特段の不審事由のない限り、定期積金証書と届出印章の所持の確認、事故届の有無の確認、中途解約理由の聴取、定期積金解約依頼書、定期積金払戻請求書と定期積金申込書各記載の住所、氏名及び各押捺された印影の同一性を調査確認することをもって足りるものと解するのが相当である(大阪高裁昭和五三年一一月二九日判決、最高裁昭和五四年九月二五日判決参照)。

そこで、これを本件定期積金の中途解約、払戻手続について検討する。

2  第四原告の主張七(盗難事故)の事実は、当事者間に争いがない。

証拠を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告の勤務先である京都ヤマト運輸左京営業所は、被告修学院支店と預金取引があり、毎日、売上げを入金していた。原告(昭和四0年三月一0日生)は、昭和六一年一月ころから五、六か月間、毎月給料日に原告の右勤務先で被告修学院支店の得意先係職員から定期積金の勧誘を受けていたが、遂に同年六月三0日これを受け入れ、本件定期積金申込書を自書作成して、右得意先係職員に交付した。その後毎月給料日に原告の勤務先へ、被告修学院支店から初めての一、二回は近藤が、そのあとは古村が、原告の掛金一0万円を集金に来ていた。

(二)  昭和六二年一月二三日当日、被告修学院支店では、預金の払戻、預入事務に関し、預金者応待を行う窓口係は平文子、決裁を行う検印係は営業第二係長浅田一夫、解約の承認等は支店副長小巻秀夫が、それぞれ担当していた。

(三)  前同日正午ころ、京都市内の北部に位置する被告修学院支店(店内は暖房中)に、小太りで中背の年齢四0才位で、帽子を被り(原告主張の「目深に」を認めるに足りる証拠はない。)薄い色の着いた眼鏡をかけ、濃紺のジャンパー様の上着を着て、手袋をはめた男が訪れ、本件定期積金証書を窓口の平文子に示し、中途解約の依頼をした。

(四)  平文子は、斜め後方の席にいる営業第二係長浅田一夫(以下「浅田係長」という。)に対し「積立ての解約ですから、預金の増強ということもあるので、次の契約をお願いして欲しい。」旨を告げた。浅田係長は、カウンター越しに、その男に対し、先ず「何にお使いでございますか。」と資金使途を尋ねたところ「ちょっと要るので出して欲しい。」との答であったので、再度「よろしければ、具体的に何にお使いになるのか、今後の参考のこともありますので、教えて欲しい。」と聞いたところ、その男は「ちょっと物を買うのだ。」と答えた。

(五)  被告金庫のシステム上、定期積金の解約には支店副長以上の承認が必要であったので、浅田係長は、同支店副長小巻秀夫(以下「小巻副長」という。)に対し、本件定期積金証書(同証書中には、集金担当者古村の集金印が押捺されていた。)を示して中途解約の承認を求めるとともに、当時預金増強の時期でもあったので、「積立ての解約ですので、副長の方からも、お客さまにまた再契約をしていただくようお願いして欲しい。」と告げた。そのとき、浅田係長は、その男について疑念を抱かず、小巻副長に対しても、特段不審な点についての連絡等は一切しなかった。

小巻副長は、自席から店内のロビーに出て、ロビーの南側の待合の椅子に座っているその男に「西本さんですか。」と声をかけ、その男の横の椅子に並んで腰をかけ「古村がお伺いしていますね。」と話を切り出したところ、その男は「はい、そうです。」と答えた。そのとき、小巻副長は、その男に対し、住所、勤務先を尋ねることはしなかった。小巻副長は、資金使途を尋ねたところ、車を買うようなことを言ったので、解約はやむを得ないと判断して、再び同額の定期積金契約をしてもらいたい旨を依頼した。それに対し、その男は「今日は要るので、次回集金のときにします。」と述べた。小巻副長は、この一、二分間の会話を通じて何も不審な点を感じなかった。

(六)  そこで、小巻副長は、浅田係長に解約手続を進めるように指示し、浅田係長から指示を受けた平文子は、その男をカウンターの方に呼んで預金・積金解約依頼書及び定期積金払戻請求書の各用紙を渡し、住所、氏名等必要事項の記入と捺印を促した。

(七)  その男は、その場で、手袋をはめたまま筆記用具を使って、預金・積金解約依頼書用紙の住所、氏名欄に「一乗寺東閉川原町 西本辰巳」と記入し、また定期積金払戻請求書用紙の氏名欄にも「西本辰巳」と記入し、それぞれの名下に所持する印章を押捺して、これを平文子に提出した。

(八)  平文子は、その男から受取った右書類をそのまま後方事務方の女子職員に回したところ、後方事務方は、印鑑の相違に気付き、その旨を小巻副長に告げた。

そこで、小巻副長は、今度は、ロビーのカウンター越しにその男を呼び出し、印鑑が違っている旨を告げたところ、その男は、左手に握っていた印章三本位のうちから一本を取り出して、右各書類のお届印欄に押捺し直した。

(九)  他方、被告修学院支店で保管中の本件定期積金申込書の原告の住所、氏名欄には「京都市左京区一乗寺東閉川原町一0番地大忠荘B棟一号室 西本辰巳」と記載されており、後方事務方は、この記載と解約依頼書の住所、氏名欄、定期積金払戻請求書の氏名欄の各記載とを対比照合して、氏名の合致を確認し、住所については、右解約依頼書の「一乗寺東閉川原町」のみの記載でもって住所が合致しているものと判断した。また被告担当職員の誰も、その男に対し、さらに番地以下の詳細を書面上又は口頭で補充させることはしなかった。

(一0) 解約依頼書、定期積金払戻請求書の筆跡と定期積金申込書の筆跡とを対比すると両者は相違しているが、被告担当職員は、右筆跡の相違は往々にしてあることなのでこれを無視した。

3  以上の事実を総合すれば、次のように判断することができる。

(1)  本件定期積金中途解約、払戻手続に際し、被告担当職員は、本件払戻請求者が本件定期積金証書と原告届出印章を所持していることを確認している。

(2)  また、その際、被告担当職員は、本件払戻請求者に対し、中途解約理由を聴取している。浅田係長と小巻副長が、再度資金使途を尋ねたところ、相手は車を買うようなことを言ったのであるから、払戻請求をした本件定期積金の掛金残高も金七0万円であって車購入資金として不相応な金額ではなく、これ以上払戻請求者のプライバシーに立ち入って聴取すべきことを被告担当職員に要求することはできず、中途解約理由の聴取が不十分であるということはできない。

(3)  右中途解約、払戻手続の時点では、原告から被告に対し、事故届がなされていないことは明らかであるが、事故届の有無の確認については、当事者から主張も立証もない。

(4)  被告担当職員が、解約依頼書、定期積金払戻請求書に各記載された住所、氏名及び押捺し直された印影と定期積金申込書に記載された住所、氏名及び押捺された印影とを対照し、氏名と印影の合致していることを確認したことは、前に判示したとおりである。

解約依頼書に記載の住所と定期積金申込書に記載の住所との同一性の調査確認について考えるに、被告が、払戻請求者をして、解約依頼書に住所を記入させる目的は、記入者が預金者本人であるか否かを確認する一資料に供するためであるから、住所の記入が町名のみでよいとするならば、右目的には役立たず、そこに住所を記入させる意味は半減するであろう。被告担当職員としては、本件払戻請求者に対し、番地以下の詳細を、解約依頼書に補充して記入させるか、口頭で補充させるべきであるのに、それを怠ったものといわざるを得ない。

次に、原告は、本件払戻請求者と預金者本人との同一性に疑念を抱かせる特段の不審事由が存することを主張するので、その当否について以下検討する。

(5)  右(三)の事実だけでは、不審者とみるべき服装、挙動であるということはできない。

(6)  右(七)の事実につき、暖房のきいた店内で、本件払戻請求者が、所定の用紙に住所、氏名等を記入するにあたり、手袋をはめたまま筆記用具を使ったことは、それが細かい作業であるから、われわれの経験からすれば不自然な挙動ということができる。

(7)  右(八) の事実について、届出印章の押し間違いは、預金払戻の実際において稀ではなく、そのことだけで不審事由とはいえないけれども、他の事情と相俟って不審の徴表となることはあるというべきである。

(8)  右(一0)の筆跡の相違について、証拠によると、定期積金申込書の記載は、必ずしも預金者本人の自筆とは限らず、家族や被告の得意先係職員の代筆により行われることが多いことが認められ、この筆跡の相違をもって、直ちに不審事由ということはできない。

(9)  本件定期積金の掛金は、被告において毎月給料日に原告の勤務先で集金していた事実から、その解約、払戻請求も、原告の勤務先で受け付ける慣行が確立していたということはできない。即日資金が入用な場合など、預金者が直接被告の店頭に出向いて行うこともありうるというべきである。

(10)  右(五)後文の事実について、小巻副長は、ロビーに出向いて本件払戻請求者に対し「西本さんですか。」「古村がお伺いしていますね。」と問いかけたのであるが、これは、相手が預金者たる原告本人であるかどうかを確認するための質問としては適切でない。右のような質問に対して、相手が「いいえ、違います。」と答える筈がない。小巻副長は、本件払戻請求者に対し、疑問詞で始まる質問形式で、相手の氏名、住所、勤務先及び集金に伺っている担当者名等を問うべきであったのに、その配慮を欠いたといわなければならない。

4 右判断のうち、(4)(住所記入の不完全)、(6)(手袋をはめたままの記入)、(7)(印章の押し間違い)に加えて、(10)(質問の不適切)を総合すれば、本件定期積金の払戻に関し、本件払戻請求者と預金者本人との間の同一性を確認するにつき、被告担当職員に過失があるものといわなければならない。

(普通預金の払戻手続について)

1  金融機関が、普通預金の払戻請求を受けた場合、預金者の氏名を記載し印章を押した払戻請求書と預金通帳の提出を受け、右請求書に押された印影を預金者の届出にかかる印影とを照合し、相違ないと認めて払戻をしたときは、その請求者が払戻を受ける権限を有しない者であったとしても、その払戻は原則として有効であると認めるのが相当である。ただし、具体的事情により請求者の無権限を疑うべき相当の理由の存する場合があり、その場合に取引通念上金融機関(担当職員)として当然に要請さるべき注意を欠いたため請求者の無権限に気付かず払戻に応じたとき(過失がある場合)は、その払戻を有効と認めるべきではない(東京高裁昭和四一年九月一日判決、最高裁昭和四二年四月一五日判決参照)。

2  そこで、これを本件普通預金払戻手続について検討する。

本件では、先ず平文子に対し定期積金の中途解約依頼及び払戻請求がなされ、次いで右手続の進行中に、同人に対し普通預金の払戻請求がなされたこと、平文子は、普通預金払戻請求書に押捺された印影と原告届出の印影とを照合して合致していると認めてその払戻手続をしたことは、前項に判示したとおりである。証拠によれば、両手続とも、被告担当職員は、受付は平文子、検印は浅田係長がする等重なっていることが認められる。

(浅田係長の証言では「普通預金の払出もされたことは、原告が明くる日来て普通預金に残がないといった時点で知った。原告の普通預金の払戻手続を浅田はチェックしていない。」とあるが、普通預金払戻請求書(乙第四号証)には、検印欄に浅田係長の認印があり、浅田係長が関与していることが認められる。)したがって、平文子、浅田係長とも、先行する定期積金の払戻手続において預金者本人の確認が過失なく終わるまで、普通預金の払戻を差し控えるべきであったということができる。本件定期積金の払戻手続に関し被告担当職員に過失のあることは、前に判示したとおりである。そこで、全体的に考察すると、本件普通預金の払戻に関しても、本件払戻請求者と預金者本人との同一性を確認するにつき、被告担当職員に過失があるものといわなければならない。

四被告には、本件各預金の払戻について右のとおり過失があるから、本件払戻請求者に対してなした各払戻は有効であるということはできず、したがってまた原告の本件各預金債権が消滅したということもできない。よって、被告の免責の抗弁は理由がない。

五被告主張の過失相殺の抗弁は、傾聴に値するが、わが国実体法上根拠がなく、主張自体失当である。

六以上判示したとおり、本訴請求は、いずれも理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官久津間慶二)

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